2009年11月18日水曜日

瀬戸内 『海の道一兆円構想』

広島県に、新しく若い知事が誕生しました。
彼は、多くのマニフェストのなかで、瀬戸内海の有効利用、『海の道一兆円構想』を推進しています。「瀬戸内海は、日本の地中海だ」と胸を張る彼は、瀬戸内海を囲む他県との協議の上、港の一般開港、共有を目指しています。
瀬戸内海は、日本でも素晴らしい海の環境です。源平合戦、村上水軍、朝鮮通信使など歴史も多く、景勝地もたくさんあります。
ヨットに乗っていて、特に面白い、潮との関係も、この海の魅力の一つです。ヨットを楽しむには、最適な環境です。

ぜひぜひ、新しい知事さんのもと、瀬戸内海をヨットのメッカにしてほしいものです。

しかしながら、地元漁業の人たちとも仲良くしなければなりませんから、ボーターのマナーも向上しなければなりません。
飲酒ボーターや、ゴミのポイ捨てボーターなど、傲慢なボーターがいたら、周りが注意して撲滅してほしいものですね。

瀬戸内海の未来に期待したいと思います。

さて写真は、今後も気になる鞆の浦架橋埋め立て問題。サザエさんも訪ねた鞆の浦。ポニョの町でもあります。古来から、鞆の浦は、潮待ちの港でした。その向かいにある仙酔島も、いい島です。この島の名前を、ロバート仙道さんは、気に入ってましたね~。「オレが酔っ払った島?」と。

いろんな意味で、瀬戸内海は注目の海です。



2 件のコメント:

銀河 秋彩・秋山 彩香(あやか) さんのコメント...

瀬戸内『海の道一兆円構想』 歴史も観光資源

湯崎知事の、瀬戸内『海の道一兆円構想』に賛同する県民の一人です。
瀬戸内には数多くの歴史遺産が眠っています。正しく、「真の歴史」を知る事が必要です。
それらを知事が言うように、点と点ではなく、線として、或いは、面として、結びつける事が肝要です。
そこで、それらの歴史の【史実】を幾つか……(まず、鞆の浦を)。

『万葉集』に謳われた、「鞆の浦の磯のむろの木(三首)」があります。この歌の作者は、「大伴宿禰旅人」に成っています。
だが、彼は、本当は【大伴宿禰旅人に借名の、聖武天皇(大津皇子)】です。
なんとなれば、
大伴宿禰旅人の長歌・短歌(巻三・三一八~九)は【★聖武天皇即位の宣命】を用いています。
【~ 天地と 長く久しく 万代に 改らずあらむ 行幸の宮 (巻三・三一八結句)】
たとえ、大伴卿の旅人と言えど、当時は、【★聖武天皇即位の宣命】など、用いられよう筈もありません。
ですから、「大伴宿禰旅人」=【旅人に借名の、聖武天皇】と考えなければなりません。
そう考えれば、「むろの木」=【(娘の)牟漏(むろ)太上天皇】、「妹」=【山辺皇女(大津皇子后)=県犬養(橘)三千代】と
判ります。

春の野【官房長官・人麻呂時代】にすみれ【山辺皇女】摘みにと来しわれ【赤人】ぞ
 野を懐かしみ【君臨者・県犬養(橘)三千代と】一夜寝にける  赤人(人麻呂・大津皇子)(巻8・1428)

  京に向かひて道に上がる時に作る歌
我妹子【山辺皇女=県犬養(橘)三千代】が見し鞆の浦の天木香(むろ)の木【娘・牟漏(むろ)太上天皇=◎神功皇后】は
 常世にあれど見し人ぞなき (巻3・449)
鞆の浦の磯のむろの木【牟漏(むろ)太上天皇】見むごとに相見し妹【亡妻・県犬養(橘)三千代=山辺皇女】は忘らえめやも   (巻3・450)
磯の上に根延ふむろの木【牟漏(むろ)太上天皇(神功皇后)】見し人をいづらととはば語り告げむか (巻3・451)

今日(2010年春)は、前述の「鞆の浦の磯のむろの木見むごとに~ 」の鞆の浦へ行って来た。

「◎皇后島」と「●玉津島」を確認してきた。

地図で見ると、鞆の浦の対潮楼の南南西約1km沖合い、淀媛神社の南に、【◎玉津島】があり、
対潮楼から東南東へ500m沖合い、仙酔島の南に【★皇后島】がある。
【私見】は即ち、かの「神功皇后」=【天香木(むろ)の木に揶揄された、
牟漏(むろ)太上天皇】である。

  三点セット・対潮楼の「▲むろの木」、「◎皇后島」、「●玉津島」、
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34.38076583&lon=133.39359972&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&p=%E4%BB%99%E9%85%94%E5%B3%B6&sc=7


ついでに対潮楼へ寄り、弁天島を眺めていると、解説員に話しかけられ、
天木香(むろ)の木の話になった。

彼が言うには、道路脇のむろの木の歌碑の横のもみの木に似た木が、むろの木だと言う。

「そんな馬鹿な!」と即座に否定した。

なんとなれば、花札の一月は、「松と鶴」である。
その「松」が「むろの木」であり、【牟漏(むろ)太上天皇(神功皇后)】を揶揄しているからだ。
「鶴」は、【(夫の)藤原北家房前(仲哀天皇)】である。

「松」は【物部氏】を揶揄している。たとえば、倭国の統治者(鳥)・有間皇子が謳った歌、

鳥【統治者】となりて(鳥翔成)あり通ひつつ見らめども人こそ知らめ松【物部氏】は知るらむ
  (巻2・145)

「松竹梅」は、【王統順】の、
「松」=【(倭国)物部氏】
「竹」=【(大倭国)蘇我氏】
「梅」=【(日本国)藤原氏】
である。

さて、村上天皇の勅願寺が対潮楼横にある。
その仏像が納められている仏壇の裏側には、驚いたことに隠れキリシタンの十字架が有った。
やはり、「清少納言」=【聖書 納言(実人物は、中宮定子の母・高階貴子)】の時代には、
(ネストリウス派の)景教(キリスト教)が、入って来ていたのだ。それが「隠し十字架」で、証明出来たのである。

これは、「むろの木」ではない。
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/491b&.src=ph&.dnm=5fc8.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/lst%3f%26.dir=/491b%26.src=ph%26.view=t

 これが「(横に張った)根延ふむろの木(松)」である
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/491b&.src=ph&.dnm=4723.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/lst%3f%26.dir=/491b%26.src=ph%26.view=t

磯【石上布留】の上に根延ふむろの木【牟漏(むろ)太上天皇】見し人を
 いづら【何処(いづら)と伊都国(いづら)の掛詞】ととはば語り告げむか
  大伴宿禰旅人【(借名の)聖武天皇】(巻3・451)

対潮楼に座って、手前のむろの木を見ながら、天下一の絶景・弁天島を眺めているのである。


関連歌

 「すみれ」=【山辺皇女(のちの、県犬養橘三千代)】
春の野【天智系(春)・官房長官人麻呂時代の】にすみれ【山辺皇女】摘みにと来しわれぞ
 野【大臣時代】を懐かしみ【県犬養(橘)三千代と】一夜寝にける  赤人・「山柿の門」(巻8・1428)
 「橘」=【君臨者・県犬養(橘)三千代=「文学上の死」・山辺皇女(大津皇子妃)】
橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木  聖武天皇(巻6・1014)
「むろ(の木)」=【(三千代と美努王(大津皇子・聖武天皇)の娘・光明子の姉)牟漏(むろ)太上天皇(天平元年~九年か)】
御民われ生ける験(しるし)あり
 天地の栄ゆる時【◎神功皇后・牟漏(むろ)太上天皇の御世】にあへらく思へば 海犬飼宿禰岡麻呂(巻6・1001)
◎玉津島【唐津湾】 磯の浦廻【怨み】の真名子【愛子(まなこ)・牟漏(むろ)太上天皇=神功皇后】にも
 にほひて行(ゆ)かな妹【(君臨者)県犬養(橘)三千代=山辺皇女】も触れけむ  人麻呂(大津皇子)歌集(巻9・1803)
鞆の浦の磯の天香木(むろ)の木【君臨者(牟漏太上天皇)=★大嬢】見むごとに
 相見し妹【(君臨者)県犬養(橘)三千代】は忘らえめやも  大伴宿禰旅人【美努王・(借名の)聖武天皇】(巻3・450)
   (参考)
大伴宿禰旅人の長歌・短歌(巻三・三一八~九)は【★聖武天皇即位の宣命】を用いています。
【~ 天地と 長く久しく 万代に 改らずあらむ 行幸の宮 (巻三・三一八)】

聖武天皇 西暦660年生まれ(憶良として)~西暦759年没・【終焉地は隠岐の島、島後西郷町加茂歌木】
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/491b&.src=ph&.dnm=3a56.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/lst%3f%26.dir=/491b%26.src=ph%26.view=t

歴史遺産は、橋などで景観を失ってはいけません。国民の財産です。架橋にすると、二度と復元出来ません。
山側にトンネルとか、別の解決方法は考えればあると思います。

銀河 秋彩・秋山 彩香(あやか) さんのコメント...

●『万葉集』の「遣新羅使人の歌(巻15)」は、【光明皇后(孝謙太上天皇)に禁忌し、寵愛を受け、
権力を手にした、紫微内相・藤原仲麻呂謀反に拠る、
西暦755(天平勝宝七)年の聖武天皇〔人麻呂〕の隠岐島流罪、
(&高円宮・石川朝臣広成・血鹿島流罪と双子の広世・伊豆島流罪)の歌群】です。
その流罪の途次、広島県の港にも寄りながらの歌が載せられています。
【紫微中台・孝謙太上天皇(光明皇后)、紫微内相・藤原朝臣仲麻呂(恵美押勝)】

安芸津の風早
★君【聖武天皇】がゆく海辺の宿に霧立たば吾【光明皇后】が立ち嘆く息と知りませ
   光明皇后=孝謙太上天皇(巻15・3602)
★我【聖武天皇】がゆゑに妹【光明皇后】嘆くらし風早の浦の沖辺に霧棚引けり
   隠岐島流罪時の聖武天皇(巻15・3637)
   倉橋島の桂が浜
★石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
   隠岐島流罪時の聖武天皇(巻15・3659)

  歌碑・安芸津の風早
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/761d&.src=ph&.dnm=d03a.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/lst%3f%26.dir=/761d%26.src=ph%26.view=t

  倉橋島の(復元)遣唐使船
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  天武天皇【(外来征服王朝)高句麗王・泉蓋蘇文】暗殺歌
  =「聖徳太子(大津皇子=人麻呂)、崇峻(天武)弑逆」歌
天の海【大海人皇子】に雲【藤原氏】の波【蘇我氏】立ち
 月の舟【父母の敵、天武(大海人皇子)の死】
  星の林【ニギハヤヒ(林)・豪族(星)・布留の御霊】に漕ぎ隠る見ゆ
   人麻呂(大津皇子)歌集(巻7巻頭歌)

  清盛が切り開いた音戸の瀬戸
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/ed85&.src=ph&.dnm=93f2.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/lst%3f%26.dir=/ed85%26.src=ph%26.view=t

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  四国松山【西暦639年に倭国物部系と臺国蘇我系が合併建国。首長国とは松山】
●(四国松山)塾田津に船乗りせむと月【統治者(有間皇子の即位)】待てば
 潮【朝廷(の準備)】も叶ひぬ今は漕ぎ出でな【さあ、戦争だ!】  額田王【君臨者・推古天皇】(巻1・8)
国内は、二段構えの、博多湾と、大阪湾が、唐との決戦地。
最終決戦地は、(推古天皇と孝徳天皇の、長柄豊崎宮があった)大阪湾。

「斉明太上天皇(秋)」=【大倭国(臺国+倭国)・九州近江王朝・蘇我大王家(秋)最初の君臨者(皇極とは別人)。
倭国の大国主命(孝徳天皇)から国譲りされた、臺国の天照大神(斉明太上天皇)】
即ち、西暦645年「大化(倭国から、臺国化への)改新」=【大国主命(孝徳天皇・倭国)から、天照大神(斉明太上天皇・臺国)への、国譲り】

「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、倭国の孝徳天皇と有間皇子は、敗戦責任を問われ、唐へ連行された。
孝徳天皇は唐で客死。有間皇子(定恵)は、帰日するも、「天知る、地知る、赤兄知る」の大海人皇子に殺された。
【孝徳天皇と有間皇子(定恵)の陵】は、「藤ノ木古墳」。
斉明太上天皇と推古天皇(額田王・太田皇女)には、お咎め無し。
形の上では、推古天皇(額田王・太田皇女)を日本国の君臨者に。統治者は、後夫の、弘文天皇(大伴皇子)。

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  最難解歌の情景=【「白村江(はくすきのえ)の戦い」】
莫囂円隣之 大相七兄 爪謁気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本  額田王

                    「北斗七星」=【新羅王(七)武烈(のちに日本国の天智天皇(大伴氏)・春)】
                         
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                ★  「北極星」=【天帝(推古天皇・額田王)】
                        「大倭国&日本国・蘇我大王家(秋)




     ☆     
        ☆      「カシオペア座」=【有間皇子】
     ☆     ☆    倭国(五=呉)の(物部氏)統治者・有馬皇子(夏)
         ☆

  最難解歌
  莫囂円隣之 大相七兄 爪謁気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本  額田王【君臨者・推古天皇】
http://photos.yahoo.co.jp/ph/zan23647/vwp?.dir=/f680&.dnm=8c94.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t

莫囂円隣之 大相七兄 爪謁気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本  額田王【推古天皇・大田(十市)皇女】(巻1・9)
莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子が射立ち為(な)しけむ厳橿が本  額田王(巻1・9)
  【訓訳】
纏まりし兄星(えぼし・烏帽子)爪弾け 吾が背子は射立ち損ねし五つ星かも (巻1・9)
  【裏意(真意)訳】
纏まりし兄星【北斗七星=新羅王武烈=百濟鎮將・劉仁願=天智軍(春)】爪弾け
吾【北極星(天帝)君臨者・推古天皇=額田王(秋)】が背子【有間皇子(夏)】は
射立し損ねし五つ星【弓形をした射つつ星(カシオペア座)=有間皇子(夏)】かも

なお、「莫囂円隣之(纏まりし)」の「円隣之(まりし)」=【マリシ(マリキ)・王】