2009年7月7日

レフカダ・運河

第5レグの開始地点、レフカダ島にやってきました。
この島は日本に帰化した作家、小泉八雲の生まれた島。
本名のラフカディオは島の名前からきているそうです。
地元のレストランの人の話によると、彼が日本で作家として有名になったことは地元でも結構知られていて、日本関係コミュニティーがレフカダタウンにはあるそうです。
写真はイオニア海からレフカダ運河に入るときの跳ね橋、毎時サイレンの音を合図に開きます。

2009年7月5日

Preveza

地中海クルーズ、5レグの出発地、Levkas島のすぐ近く、Prevezaへやってきました。
この沖合でローマの初代皇帝となったオクタビアヌスとアントニウス & クレオパトラ連合軍の海戦が行われました。
クレオパトラのエジプト海軍は戦に臨むに際し、セールを積み(この当時、海戦ではセールは使わないので下ろすのが普通)、貴重品もすべて積み込んで出陣、どうも最初から旗色が悪くなったら逃走しようという雰囲気で戦場海域に赴いたそうです。
結果は歴史の示す通り、クレオパトラのエジプト海軍は早々と戦線離脱、後を追ってアントニウスもエジプトに逃走、オクタビアヌスのローマ帝国支配が確立することとなりました。

2009年7月3日

コルフ島

地中海クルーズ第四レグ、ギリシャに入国、コルフ島の有名な要塞の裏側にアンカリング。
この要塞はベネチュアがトルコの侵攻に対する防御拠点として築いたもの。
当初は半島の先端を要塞化していたのですが、大陸軍国のトルコは数万、ときには数十万の兵を使った人海戦術で陸側から攻めてくるのが通例なので(海軍はベネチュアが絶対的な強さを誇っていた)、陸側を切り落とし、海中要塞としたものです。
これはコルフに限らず、当時ベネチュアが保持していたクレタ島など主な拠点の要塞は全てこのように陸から切り離して防御したのです。

2009年7月2日

赤ひげ

マイケルジャクソンの死は、ショックでしたね。世界一の才能と、巨万の富を得ても、彼は幸せではなかったのでしょうね。
今、ワーキングプア、プレカリアートという時代ですが、お金持ちが不幸に死ぬと、なんだか、やりきれません。

さて、ボブ船長一行の写真を見ると、美しい城壁が映っていますが、これも、美しいと見ることのできない歴史があります。
中世の地中海は、暗黒の時代で、海賊が、略奪と殺し、奴隷のための拉致を繰り返していました。それは、船同士だけではなく、沿岸の住民に対しても行われ続けていました。だから、地中海の城壁は、栄華の跡ではなく、人間の尊厳すら侵される海賊業からの、必死の血の城塞だったのです。

今は、不景気で貧困と格差に喘いでいる時代ですが、この中世、地中海の時代より、マシ、と考えるしかないですね・・・。

写真は、地中海を荒らした海賊赤ひげ。オスマン帝国からバックアップされていました。

2009年7月1日

Plywood Cup 2009 in Vancouver

毎年、グランビルアイランドのパブリックドックで行われているPlywood Cup!



ルールはシンプル
  • 2 sheets of plywood,
  • 1 eight foot piece of 2x2,
  • 1 roll of duct tape,
  • 1 small bad of nails,
  • 1 hammer,
  • 1 hand saw,
  • a measuring stick
  • and a pencil.
90分でボートを作製し、フォールスクリークを横断して競争します。
来年は、ウィンドバレーチームを募って優勝しよう。
詳細はこちらから

2009年6月30日

マイケルジャクソン

セーリングとまったく関係がありませんが、マイケルジャクソンが亡くなりましたね。整形ずくめのため意外と知られていないのが、彼の白い肌の原因です:


2009年6月29日

イタリアクルーズ中


東地中海クルーズ、イタリア沿岸を南下中です。
最初の写真は「オート三輪」(この言葉がわかる人はかなりのもんです)、終戦後しばらく街を走り回っていました。ここイタリアではまだまだ現役、今でも生産を続けているようです。
次の写真は立ち寄ったTraniの港付近の風景、小雨の中を散歩しました。