2008年12月28日日曜日

空を飛ぶ、ヨット

ヨットも進化してきていますね。
このヨット、水面から離れて、宙を走っているんですよ。
しかも、セーリング限界速度50ノットを越えたそうです。その後、ひっくり返ったそうですが・・・。
乗り心地は、どうなのでしょう?
着水するときに、飛行機のエアポケットに入ったときの気持ち悪さがありそうですね。(想像ですが)
以前、バンクーバーで、スターウオーズの宇宙船みたいなヨットを見ました。操船していたのは、凛々しく背筋をまっすぐと伸ばした女性でしたね~。かっこよかったな~

http://www.hydroptere.com/
http://www.swissinfo.ch/jpn/front.html?siteSect=105&sid=9403958&cKey=1217509055000&ty=st

http://hydrofoiltrimaran.com/

ではでは、良いお年を、

2008年12月24日水曜日

飽くなき挑戦者

TVで寛平ちゃんの元気に走る姿を見ました。毎日、フルマラソンを走るようなものなんですって。凄い・・・。膝にテーピングをしていましたが、1月には、怪我なく、ヨットに乗り込んで欲しいものです。
でもヨットのなかでは、ウィンチワークで腕は鍛えられますが、足腰は弱くなりますからね・・・その先のマラソンは辛くなるんじゃないですかね・・・。頑張ってほしいです。

さて、こんな記事を見つけました。無動力ヨットで世界一周している中国人の記事。いやはや、この人も凄いですね。
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200812170203.html?ref=recb

ちなみに、私の知っている人で、ヨットを砕氷船に改造して、アラスカの北極海に行った日本人セーラーもいるんですよ。ヒールしながら、氷を割って行ったそうです。その人は、北極でエスキモーの嫁をもらって帰ってきました。(笑)

挑戦する人って、素晴らしいですね。
世の中、口ばかり達者な人や、大きな夢ばかり語って、実行しない人は、たくさんいますが、だからこそ、こういった挑戦者は、凄い!と思います。

冬の太平洋を行く寛平ちゃん、「無謀」だと否定する人もいるかもしれませんが、どの時代にも、挑戦者はいるものです。安全で暖かい場所にいる人たちは、そんなイケズなこと言わないで、温かく応援してあげてほしいものです。

頑張れ!飽くなき挑戦!

2008年12月23日火曜日

Re:今年最初の寒気

>冬はやはり寒いほうがキリッとしますね。

 そんなBobさん(^^; 最高気温が氷点下という日が一週間も続くなんて、キリッどころではありません。おまけに昨晩から15cm以上も降り積もった雪下ろしで今朝は早くから大変だったんですから。

 最初は川面に流氷が現れ、全面凍結までの二晩は流れてくる氷がハルに当たる音と、徐々に艇の周囲で凍結した氷がキャビン内を移動する度にわずかなヒールで氷に擦れたり割れたりするガリガリ、パリン音でとても煩かったのです。全面凍結後、表面に雪が積もって白く見えるようになったら静かになりました。Live aboardしている艇はハルの周囲だけ氷が溶けている様は中々面白いです。

 川にあるMarinaに移って来て、海水でmooringしているときより貝や海草が付着せず船底は汚れないし、冷却水経路に海水が残らないのでEngineにやさしいといい事尽くめだなぁと喜んでいたのに、こんな所に落とし穴があったとは。



 まあ、こんな体験はそう出来ないでしょうから、多少寒い思いをしてでもMarinaで過ごすのも一興でしょうか。いや、そうでも考えないと寒くてやってられないです。
 下の写真は岸側から川にある小島までの広い範囲でも川面が凍結している様子です。川ではなく、原野に積もった雪のようです。


 先日は鎌倉で19℃を記録する暖かさの中、LaserやY15でのSailingは快適だったと聞きました。今年の日本は暖冬のようですが、どちらも異常気象なのか?と思えてしまいます。

2008年12月22日月曜日

もうすぐタヒチクルーズだそうですが、

写真で見るタヒチって綺麗ですね。(私も、行きたい!)
タヒチは、ジェームズ・クック船長のエンデバー号が錨を下ろした場所の一つとして有名ですね。
クックは、海軍省の建て前、真面目に日記をつけていたのですが、植物学者として乗船したジョセフ・バンクスの日記には、タヒチに到着してからは、植物の記述がなくなるくらい、タヒチはバカンスの楽園だったそうです。
女性も美しく、クックの日記では、何人もの水夫が島の女性と駆け落ちをしてしまい、探し回って連れ戻すのに大変だったと書かれています。彼らがいないと、船は動きませんからね。一大事です。
でもクックの先見の目は、駆け落ちした水夫を島に残してやっても、すぐに死んでしまうだろうと考えたところです。 それはなぜかと言うと、当時のタヒチは、梅毒などの性病が蔓延していたからです。
クックの船がタヒチを去るときには、船員の半分が梅毒にかかっていて船医は大忙しだったといいます。
ボラボラ島やその周辺の島々は、梅毒が蔓延したことによって、イギリス海軍の海図に書き込まれることになったのだそうです。※梅毒要注意!として。

別の記述でウィリアム・ブライ航海長は、「タヒチは、思いも寄らぬ崩壊の誘惑が満ちている」と記しています。  
まさに、当時のタヒチは、『堕落の楽園』だったのです。

「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるのだ」坂口安吾『堕落論』より。

ボブ船長もタヒチで『堕落論』を追究してみては???
(え?もう追究した???やっぱり。)

2008年12月15日月曜日

寛平ちゃ~ん。頑張れ!

もうすぐ出発の寛平ちゃん。
1月1日元日から、ヨットで太平洋横断するそうです。横断には3ヶ月かかるそうです。でも、こんな真冬の季節に、大丈夫かな~???ちょっと心配。
実は、私は小学生の頃から、寛平ちゃんのファンなんです。
関東の人は、あまり知らないかも知れませんが、関西系のテレビでは、寛平ちゃんは若い頃から大人気だったのです。
吉本の「あっちこっちでっち」なんて大爆笑でした。

この寛平ちゃん、日本のISPAジャパンでヨットを習ったそうです。
ヨットの専門用語が覚えられなくて、大変だったと、テレビで言っていました。確かに、ヨット専門用語は大変ですよね。
でも、ISPAで基本を習ったのだったら、安心ですね。いろんな人に習うのはいいですが、やはり基本は大切です。

寛平ちゃんの挑戦は、団塊の世代の人たちに、勇気を与えるのではないでしょうか?

定年退職後、趣味もなく、テレビばかり見て、家で晩酌ばかりする生活よりも、何かを活き活きとしてほしいですね。

海外では、定年後の楽しみに、のんびりヨットをはじめる人が多いですが、日本も、そういう人が増えるといいです。

いいじゃないですか! 専門用語が覚えられなくても。「その紐、ひっぱれー」「右!右!いや、左だった~」「地図とって~」なんて言いながら。ハハハ。 (ダメかな?)
まずは、基本をしっかりと身につけているような人の船で、楽しむだけでもいいと思います。(ヨットは、経験が長いだけじゃダメです)

寛平ちゃん、無事に冬の太平洋渡りきって欲しいですね。
http://news.livedoor.com/article/detail/3926055/

今年最初の寒気


雪景色!
バンクーバーに今年はじめての雪が降りました。
今日から数日間は最高気温が氷点下だそうです。

冬はやはり寒いほうがキリッとしますね。

2008年11月5日水曜日

ドブロブニク滞在中、旧市街の中の博物館を色々訪れました。
これはその一つ、昔の生活の様子を展示している博物館で観たもの。

羊の皮で作った水を入れる袋。

造ったといっても、皮の首と手足を縛って水が漏れないようにしただけのシンプルなものです。
ロバの背にこれを乗せて旅行したのですね。
クロアチア沿岸一帯は地中海性気候、夏の間はほとんど雨が降らず、陸を移動する場合も水を持ち歩く必要があったようです。

2008年10月25日土曜日

クロアチア

クロアチアからバンクーバーに戻りました。
今回のクルーズの参加者の一人にうつされた風邪が悪化、喉をやられてまだ長引いています。

風邪をうつした本人はケロリとして、何でもなかったかのようにクロアチアの後にイタリアを旅行していたようです。

写真は参加者の一人からいただいたクロアチアの風景、最初はドブロブニク旧市街。
旧市街の北側、小さな入り江をはさんだ反対側に築かれた砦から撮影したものです。


2枚目はドブロブニク近郊の島、コリュキュラのオールドタウン、この島はベネチュアがアドリア海の要として長い間維持、島の南端に要塞(現在のオールドタウン)を築きました。
この街にはマルコポーロが住んでいたといわれる住居が博物館として保存されています。

2008年10月7日火曜日

LASTOVO



アドリア海クルーズが始まりました。
クルーズ出発前夜は激しい雷雨、予報では翌日から好天気になるとのことでしたが、どうなることかと心配しながらACIマリーナで宿泊。
翌日は予報通り好天気、天気予報があたりました。
写真はLASTOVO島の東端、PREZBAの丘、美しい風景が広がります。



今回の使用艇、39フィートのベネトウ、3キャビンに6名でのクルーズです。

クルーズ中の移動はスポットサイトでごらんください、グーグルマップ上で見ることができます。


今日はこれからKorcula島へ移動します。

2008年10月6日月曜日

ESSO Gas Dock


Burrard street bridgeの下にあるガソリンスタンド”Esso”がなくなりました。Boatersにとっては不便なことになりそうです。市販のガスをタンクに積み換えて人力で運ぶか、Lions Gate bridgeをくぐりぬけCoal Harbourにある”Chevron”まで給油に行くことに。

Steveston Marine& Hardware


Granville islandの近くにあるお馴染みのマリンショップ”Steveston Marine& Hardware”が、12月に移転することに。今なら、ストア内のものすべて20%OFFの大セール中です。お見逃しなく。移転先は、検討中だそうです。

2008年10月3日金曜日

ドブロブニク・隔離施設

中世ヨーロッパの都市で最も恐れられていたことの一つ、それはペストに代表される伝染病。

ドブロブニク港の港のすぐ外側にあるこの建物(赤い枠)、これは来航した船の乗組員を隔離していた施設、ドブロブニクに到着した船の乗組員は全て例外なくこの建物に1ヶ月間隔離されたそうです。

2008年10月2日木曜日

ドブロブニク到着


アドリア海クルーズの今回のベースはドブロブニク、9月30日、ロンドン経由で到着しました。
最初の写真はドブロブニク、旧市街のメインストリート、写真の左側に携帯電話を持ったオジサンが入ろうとしているところが滞在先アパートメントへ通ずる道。




道の奥に見える階段をずっと上っていきます。
これがとっても長く、きつい階段です。
でも運動不足のクルージングヨットマンにはちょうどいい!









1階がアパートメント、中は古いけれども清潔。

何より、階段を降りるとすぐに旧市街の中心というロケーション。







というわけで長い階段の上り下りの後には美味しいビールと地中海の海の幸が一段と引き立ちます。

イカをオリーブオイルで焼いた料理、そしてピボ(ビール)が最高です。

写真を撮る前にビール飲んでしまいました、失礼。

2008年10月1日水曜日

実験!『オープンウオーター2』


先週の探偵ナイトスクープで、映画『オープンウオーター2』の実験をやっていました。

これは何かというと、映画の中で、男女6人が、ヨットから飛び込んで海で泳ぐのですが、ハシゴを下ろすのを忘れていて、誰もヨットに上がることができずに、力尽きて仲間が一人ずつ溺死してしまうという映画です。

そこで、「6人もいれば、協力してヨットに這い上がることができるだろう」と依頼人は言い、しかも彼には「秘策がある」と断言。そこで実際に、海にからハシゴなしでヨットに這い上がれるかを実験したというわけです。以下の場所で、動画をどうぞ。

http://www.veoh.com/videos/v16070654eJyAH8wZ?source=embed

動画を見ることができない人のために、説明します。
映画の状況に合わせ、男3人、女3人で、ヨットから海に飛び込みました。女性のうちの二人は、マリーナスタッフのお兄ちゃんとカンニング竹山(お笑い)がビキニを着て女装。

飛び込んだのはいいけれど、早くも泳げない人がいて、実際に救助されてしまいました。(この人は溺死扱いとなり、死装束を着てヨットの上から実験をお見守りすることに。

残った5人で、依頼者の言う秘策を試すも、全てうまくいかず、女装のマリーナスタッフのお兄ちゃんが、唇を真っ青にして二人目のリタイヤ(溺死)となる。

四人でなんとか試すも、ヨットの縁に手が届かず、結局映画のシーンにあった、海パンとビキニを結んでロープにすることに。

しかし、ただ一人、女性参加で飛び込んだ女性が、「絶対、水着は脱げない、死んだほうがマシ!!!」と自ら、溺死。

残った三人が、すっぽんぽんになって、海パンと水着を結んだロープをヨットに投げるが・・・。

ちょっとした、裸祭りでしたね~。面白かった。

結論、誰もヨットには這い上がれず、全員溺死。
まさかと思いましたが、本当に這い上がれないようです。絶対、ヨットから落ちないようにしましょう。
飛び込むときは、ちゃんと、ハシゴを下ろしておきましょうね。

2008年9月29日月曜日

日本の海難事故ワースト3











以前、日本の海洋事故原因のワースト3というのを、ニュースで言っていました。

ワースト3位は、居眠り

ワースト2位、船の不整備、機器の故障

ここまでは、世界中、よくある話です。でも、日本のワースト1位って、なにか知ってます?

ケータイ電話で、メールを打っていての衝突、座礁ですって。日本人らしいと言うか・・・情けないというか・・・。

ところで、世界の海では、あたりまえになっているマリンVHFラジオが、なぜか日本では普及されていません。日本の海では、ケータイ電話を持って乗船し、なにかあったら118番に電話するようにとのことです。

海上保安のHPにこんなことが書かれていました。海難船舶隻数のうち、漁船及びプレジャーボート等の海難隻数は、全体の4分の3を占めている、と。また、118番通報による通報のうち、船舶からの携帯電話を使用した通報は72%。

日本の海を航海する場合、ケータイ電話が必需品のようですね。

私は今の社会に逆行して、ケータイ電話が好きではありません。子供たちの教育や社会に、悪影響を与えているのは、ケータイ電話と言われていますが、まったくの同感です。ケータイで、ネットやテレビが見られるようになって、学校や会社の机の下で、ケータイを見ている生徒や社会人が多いといいます。
ケータイを見ながら
ヘルムを持っている人も、多いのでしょうね。

ところで、ケータイ電話って、防水じゃないですよね。以前、ケータイにビールをこぼして、使えなくなってしまいましたが、それでも、ケータイがあるから、マリンVHFは必要ないと、日本は言うのでしょうかね・・・。

日本の海では、マリンVHFの代わりに、ケータイをジップロック袋に入れておかないといけないようです。

ところで、日本でのマリンVHFラジオの販売に、『検定品ではないため、この機種での開局はできません』と書かれてあります。これって、どういうことでしょう?世界では、海上安全のために普通に使われている機種なのに、日本の検定に外れるということでしょうか???

なぜ、日本の海で船に乗っている人は、このマリンVHFラジオが日本で普及しない現実を疑問視しないのでしょう???

海上の安全を考えるならば、とても重要なことだと思うのですが・・・。


われらをめぐる海

またまた、本を紹介。
最近、古い本がまた脚光を浴びていますね。『蟹工船』が今の社会の象徴としてまたベストセラーになっているなんてね…。本は、時代を巡って読まれるんですから、本って素晴らしい。作家は死んでも、本は生き続けている。

今回のご紹介は、レイチェル・カーソンの『われらをめぐる海』

これも、時代を巡る本ですね。

ブルーラティチュード

みなさん、ブリティッシュ・コロンビア州の語源って知っています?バンクーバーの語源は? 

BC州の語源は、クリストファー・コロンバス(コロンブス)。
バンクーバーは、ジェームズ・クック船長と共に航海したジョージ・バンクーバーです。

二つとも、海洋探険家の名前です。こんな世界的有名な海洋探検家の名前をもったこの場所でヨットを学び、特に、クック船長の航路と深く関係しているこの海をクルージングできるなんて、幸せですよね~。

ところで、ファンデフカ海峡は、クック船長が見過ごしてしまって、その後、ギリシア人の航海士により存在が確認され名前がつきました。でもなんで、あんなに広い海峡を、クック船長は見過ごしてしまったのでしょうね~? 眠っていたのかな?

またまた、本を紹介です。

ジェームス・クックの航跡をたどる本です。なかなか面白いですよ。

2008年9月25日木曜日

世界初の気象予報士は、船乗りだったといいます。
では、これ(←写真)を見たら天気はどうなる???



突然ですが、海に関するクイズです。

海水の電気の通り方は? 

①通さない ②水よりも良く通る ③水と同じに通す

潮の満潮から満潮まではおよそ何時間? 

11時間25分 16時間25分 18時間25

日本にくる台風の渦巻きはどっち回り? 

①右まわり ②左まわり ③決まってない

日本の海の緊急にかける電話番号は?

117 118 119

日本時間と世界標準時とのズレは? 

6時間 9時間 12時間、

クラゲに刺されたら、どうしたらよいでしょう? 

醤油をかける 酢をかける ③味噌汁をかける  

クジラの潮吹きはなに? 呼吸 ゲップ オナラ

海援隊のメンバーではないのは?

坂本竜馬 武田鉄也 勝海舟 

ウインドバレーセーリングスクールの語源は? 

①セーラームーン ②ガンダム ③風の谷のナウシカ

ボブ船長がヨットに乗る理由

①そこに海があるから ②海に大ロマンを感じているから ③泳げないから 

 
海に関係のない問題ですが。

Hになると、硬くなる棒状のモノとは? 

*

*

*

答えはもちろん、 鉛筆の芯ですよ!

これって?

海のステルスといわれた、シーシャドウ。
これって、どうやって浮いてるの?

素朴な疑問でした。

2008年9月19日金曜日

読書の秋

最近、『岩盤浴をしながら読書』、『読書をしながら岩盤浴』という至福の時間をむさぼっています。岩盤浴は気持ちがいいですね。サウナと違って、本が傷まないから一日中居られます。

ところで、今回は「宇宙船とカヌー」という本を紹介します。
父は、宇宙船を作ることに没頭した科学者。スペースコロニー計画に携わった人。息子は、17歳で家出をし、カナダBC州のサンシャインコーストあたりの森の木の上で生活しはじめ、ゴミ捨て場をあさって、自分のカヌーを作ることに没頭する変わり者。
「アパートを借りるなんてもったいない」と、中古のヨットを買って、そこに住みつき、自由気ままに海に漂いながら、ヨットから大学に通い、遠くへ旅がしたくなったら、タグボートをヒッチハイク。
この親子の物語が相互に書かれた実話です。カナダ、バンクーバー周辺の海が舞台ですから、みなさん、なかなか面白く読めると思います。
この本、ボブ船長にお貸ししたら、ボブ船長も大絶賛。

現在も、ボブ船長にお貸ししているので、自分でも個人的にもう一冊買おうとアマゾンで調べたところ、な、なんと、在庫なし!中古でも、8000円!状態の良いもので12600円という値段。文庫本が、古本でも10倍ほどの値段になるなんて!信じられません。
お薦めしようにも、この値段では、考えものですが、機会があったら読んでみてください。
以外にも、英語版だったら、バンクーバーの古本屋に、ホコリをかぶって安くあるかもしれませんよ。みつけたら、絶対、キープですね。

ではでは、また。
「岩盤浴をしながら読書・・・、いい時間です・・・」

何か、お薦めの本がありましたら、教えてくださいね。

2008年9月16日火曜日

バンクーバー島一周コース、順調です


Yacht Master Offshore コースを航行中のSilver Sea Star号、今年は秋の好天に恵まれ、順風満帆の様です。
試験的に、SPOTという端末を使って位置情報を発信しているので、陸からも行程を追うことができます。

外洋航路に出られる方は、ぜひご一考願います。

2008年9月10日水曜日






NYC,Mid Townからみた風景。  南は今更ながら、変わりました。 Ground ZeroしかないDowntownは全くアンバランス。   北を見た、Up townから、Central Park north. これは変わりません。   明日は911ですが、あの日は僕はシアトルにいました。    テレビを8時30分ごろ見て、夢かうつつか合成画像か、いや現実か。  そう思いながら見続けたテレビに、ブッシュより早く現れたのは州知事、ゲリーロック。  彼が、言った最初の言葉は今でも鮮明に覚えております。   ”In this coutry 、people unite.”   そして彼がとったアクションはまさにその午後にエリオットベイに海軍を入れて、上空に砲台を向けた。  
阪神大震災の時に決断を遅らせ、米軍はおろか自衛隊のアクションさえ躊躇のあげく、多くの人間を瓦礫の下で、焼死させていった某国の首相とは、事に及んでの危機管理意識、能力の違いがここまで違うのかとそのときは痛感しました。 これはブログだから言いたい事を言わしてもらってますが、おそらく今の平和ボケの日本では有事のおり、イージス艦はじめ、多くの、自衛隊、米軍は民間Vesselとの衝突を気遣う余り、機能しないかと危惧されます。




















































2008年9月3日水曜日

風鎮祭

あれは、はじめてWVセーリングスクールの門を叩いた時のことでした。
ISPAの入学証明書と言うべきログブックに、名前と住所を記入してボブ校長先生に手渡すと、それを見たボブ先生は、「君は、あの八尾?」と尋ねるのです。「八尾をご存知ですか?」と尋ねると、「僕はね、一度行って見たいと、昔から思っていたんだよ。八尾の『風の盆』は、素晴らしいね・・・」と、ボブ先生。

富山県八尾町に伝わる『越中八尾おわら風の盆』は、知る人ぞ知る、有名な祭りです。さすが、博識なボブ先生ですね。
これは、江戸時代元禄期から伝わる古い祭りで、実は、二百十日(稲穂の実る季節)の風を静める風鎮際と言われています。

艶やかで優雅な女踊りと、勇壮な男踊り、哀切感に満ちた胡弓の旋律で、なかなかいいですよ。よく、小説の舞台にもなります。

この風の町が、実は、私の故郷なんです。今年は久しぶりに、祭りに帰郷しました!!!

世界中、様々な場所に行ったことのあるボブ先生も、この季節はほとんど海の上で、「この祭りには、行きたくても、なかなか行かれないね・・・」と、残念な声でおっしゃっていましたので、ちょうど祭りの真っ最中、タイムリーな写真を添付します。この祭りに欠かせない胡弓の音色も添付しておきました。雰囲気だけでも味わってくださいませ。ではでは、ボブ船長、次の出航も、お気を付けて!
ちなみに、越中おわら風の盆は、9月1日2日3日です。みなさん、遊びに来てね。

2008年9月2日火曜日

ゲリラ雨

東京は、すごい雨でしたね~。
傘のいらないカナダ(バンクーバーは除外)のノリで外出したら、バケツをひっくり返したような雨に、電車は遅れるし、交通機関が滞るから、人ごみになるし・・・最悪。しかも、雨の降る直前まで、湿度がサウナ状態で、「もっと酸素を・・・」と、息苦しくなる感じ。最近の集中豪雨を、ゲリラ雨と言うそうですよ。いやはや、大変でした。
ところで、人工衛星の雲の様子では、バンクーバーの雲は、徐々に薄くなってきましたね。よしさんの古希クルーズも、ようやく、太陽を拝んでいるのではないでしょうか?
ちなみに、二枚目の写真は、よしさんとボブ船長が、古希クルーズのために、船を回航した日の上空。これを見たら、「おぉぉ~、大丈夫かな~」と、思いましたよ。でも、この写真、とても分かりやすい写真ですよね。この日の風は、南西風。よしさんとボブ船長にとっては、追い風ですけど、もし向かい風だったら、ゲロゲロゲロ~で、私は、使い物になりませんよ。

ゲロゲロゲロ~っと言えば、久しぶりにボブ船長の生徒さんと、東京で、一杯やりました。月島のもんじゃストリートで、東京名物のもんじゃ焼きを食べましたよ。月島商店街に、ひしめくように立ち並ぶもんじゃ焼き屋さん、その数、65軒。お隣さんの右も左も、裏も向かいも、もんじゃ焼き屋さんです。ずらりと並ぶもんじゃ焼き屋さんに圧倒されました。
ボブ船長も、大、大、大好物だそうなので、今度、東京におこしの際には、ぜひぜひ、もんじゃ焼きで一杯やりましょう。

ちなみに、クルーズのギャレー料理にもいいかもしれませんね。
今度、レシピ持っていきますよ。でも、もんじゃの後のシメは、やっぱり、お好み焼きでんな~。 

と、言いながら、焼きソバ注文しましたけど。
ほな、さいなら。

セーリングバディー


この写真、ずいぶんと昔の写真ですが、セールを出して静かにセーリングすると、ボブ船長が、まるで揺り篭に揺られた赤ちゃんのように、ぐっすりとデッキで居眠り。そこへ、ボブ船長のセーリングバディーのルカがやって来て、寄り添って一緒に寝息をかき始めました。太陽はキラキラ、気持ちのいい風。
こんなボブ船長とバディー・ルカの仲のいい光景を見ると、「あ~、私も犬が欲しいな~」と思うばかり。カナダでは、犬を乗せてセーリングする人が多く、港に停泊しても、船から顔を出してシッポを振っている犬をよく見かけます。

この夏、スクールの生徒さんが、チワワを二匹連れてクルーズにやってきました。 最初は、ちょろちょろと足元を走り回るチワワに、踏んづけてしまうのではないかと、おちおちクルーワークもできませんでした。それに私は、チワワと言えば、ちょっとしたことで、きゃんきゃん吠える、うるさい生き物と思っていたのです。
ところが、そんなチワワと一緒にクルージングをしているうちに、私はだんだんとチワワの魅力にメロメロになっていき、今では、チワワの大ファンになってしまいました。チワワって、こんなに可愛かったのですね。
セールを出して、静かな揺れになると、すぐにも眠てしまうベビーボブ船長の胸の中にすっぽりと入って甘えるチワワ。飼い主も、時々、チワワを抱いてヘルムを持ったりして、・・・チワワって、まるで、ポケットドッグですね。ポッケにチワワを入れて、私も旅がしたいな。
やっぱり、セーリングバディーには、チワワですね~。ということで、ちょっと、ペットショップに行ってきます。

2008年8月31日日曜日


以前カナダのセイリングスクールで同乗した夫妻のだんな様はトロントでAerodynamicの教授だったそうで、 風のない暇なクルーズ中、こっちも少ない航空力学の知識を並べて、二人、メインセールの揚抗比やレイノルズNo.の事をしゃべっていたら、インストラクターが気分害したようで、 理論ではセイリングは出来ない、と言った。   確かに船もまっすぐ走っていなかったし理論で飛行機も飛ばないけれど、常に理論ありきなのは当然で常に教科書と実技を往復する事が大切かと、そのときは思いました。     

ロンドンの海洋博物館にこの理論を面白く説明していたのは、、、 濡れた手で、石鹸を握ると、すり抜けると、、、。 (写真)  これはまさに翼や帆によって前に進むという計算をアナログに説明したうまい表現だと思います。  マクタック様、時々習った事を思い出すのはいいことですね。   とはいえ文字知らんでも、話せればコミュニケーションは出来るわけで理論は後からついてくるべきものと考えます。      昨日まで、一週間ウィスラーにいましたが、ずっと雨、 せっかくの休暇もびしょぬれ、 日ごろの行いかも。   






2008年8月25日月曜日

ボブ船長のパンケーキ

ところで最近、ボブ船長自ら、朝、パンケーキを焼くんですよ。びっくり・・・。

だって、ちょっと前までは、朝食といえば、夕飯の残りのご飯に、同じく夕飯の残りものを入れ、その後に、ボブ船長の目に写ったものを全て鍋に入れて、目の前にある調味料を全部入れて、得体の知れない雑炊が、ボブ・ブレック・ファーストだったんですよ。これが、偶然にも美味しくて、生徒さんたちから、「奇跡の朝食」と言われていたのですが、最近のボブ船長は、軽量カップで、ちゃんと分量を量って、お玉ですくって、丁寧にパンケーキを裏返したりして、とってもカワイイ、ボブ船長。
ブルーベリーを入れた、夏季限定ボブスペシャルパンケーキは、みんなから大絶賛。本当に、美味しいです。でも、あまり美味しいと言わないほうがいいですよ。そんなこと言ったら、ボブ船長ニコニコ顔で、毎朝、パンケーキになっちゃいますから。

関西弁クルーズ

ボブさんは、陸に一日いて、すぐにまた海に出てしまいましたので、代わってまた前回のクルーズのレポをします。今回は、関西弁クルーズでした。
ほんまでっか?そーでっか?ほな、ヘルムもちましょか~?
一緒に船に乗った私までも、関西弁がうつってしまって、風がありまへんがな~、あきまへんね~。なんて言ってしまうしだいで・・・。

今回のボブ船長の生徒さんたちは、学校の先生方。先生が生徒の立場になって。ん~いいですね~。先生方は、とっても真面目。信じられないくらい真面目。
(でも私は、真面目だけは、うつりませんね~。私が、もともと真面目だからでしょうか?ほんまに)

ところで今回は、ボブ船長の、とてもいいお話が聞けましたよ。というのはですね・・・、
『セーリングクルーズの中には、学校では、机の上でしか習わなかったことの、実践がたくさんある』と、ボブ船長。
それは、セーリングクルーズをしていると、数学や物理、生物、英語に、その土地の歴史といったことが、たくさん隠れていて、ふとした瞬間に、「昔学校で勉強したことは、これやったんや~」と思うことが多いのです。
私も、かつてセーリングをはじめたばかりのときは、「あぁ・・・、もっと勉強しておけばよかった・・・」と後悔するばかり・・・。セールボートが揚力で走っているとは、驚きましたね。べ、ベクトル・・・、なんやったっけ?という感じで、VHFラジオの勉強ときたら、「ヘルプ・ミー」しか言えまへんでしたがな・・・。 

確かに、セーリングクルーズは、知識と技術と、それを使う知恵、その他に、コミュニケーションの大切さやら、マナーやら、環境、道徳など、良いとこばかり。本当に、学校が船だったらいいのにね。

写真は、ジョージア海峡の真ん中を、ゆらゆらと浮いている漂流物の上に、アザラシが昼寝をしていました。写真を撮ったら、起こしてしまいましたけど。ほんま、すんまへん。

ところで、明日から東京に行かなければならないのに、関西弁が直りまへん・・・どないしょ~。

偶然!

週末カヤックをレンタルしてSmuggler coveに行きました。 いつもヨットでしか行かないので知りませんでしたが、ビーバーの巣が楽しめるボードウォークなどもありました。

そしてWelcome Passageを通っていると、見覚えのあるヨットが近づいてきます。古希クルーズへ向け船を回航するボブさんとよしさん!SilverSeaStar号でした。

こんなところでお見送りが出来るとは。。。 いってらっしゃーい!





いよいよ古希クルーズ始まりですね。


いよいよ、ヨシさんとボブ船長が、ず~っと楽しみにしていた、プリンセス・ルィーザ・インレットへの古希クルーズ(70歳記念クルーズ)が始まりますね。
ヨシさんとボブ船長二人で船の回航に出たところを、イングリッシュベイから、お見送りしました。
バンクーバーは、ちょっと天気が崩れていて、レーダーを見ると、深い雲が覆っていて、風も強そうなので、回航中の二人がちょっと心配ですが、ヨシさんも、今では経験豊富なセーラーという感じですし、ボブさんにとっては、雨が降っても、この風では追い風、順風満帆で進んでいるのではないでしょうか。
風は、南西風、古希クルーズには、雲がすっきりと抜けてくれるでしょう。
 
ところで、今回の古希クルーズには、お揃いのTシャツ、トレーナーをみんなで着るそうで、セーリングメンバー「チーム古希」と言った感じです。高校の同級生ばかりということですが、いつまでも仲良くて、いいですね。70歳記念にとどまらず、71、72、73と、いつまでも元気で、クルーズに来てくださいね。

この天気、早く晴れるといいね。てるてる坊主!!!

2008年8月24日日曜日

カンガルージョージ君

カナダと言えば、深い針葉樹の森に、夏でも残雪を残す銀嶺の山々というイメージ。ところが、バンクーバーから車でたった5時間走ったところ、ここカムループスは、カナダのなかでも珍しい暑く乾燥した砂漠地帯です。赤茶けた大地に、セージの低木とサボテン。まるで、西部劇に出てくるような風景。こんなカムループスに、オーストラリアから移民してきた男性がいました。その男性は、「やっぱりカンガルーが恋しい・・・」と言うことで、なんと、ペットとしてカンガルーを飼い始めたのです。カンガルーの名前は、ジョージ君。気候も大地もオーストラリアの砂漠に似ていることから、ジョージ君も男性も最初は大喜びでした。

ところが二ヶ月ほど前、突然、ジョージ君は、カナダ観光でもしたくなったのか? それとも、街に出てカナダのビールでも、グビッとやりたくなったのか? ぴょ~んと柵をひとっ飛びして、どこかへ行ってしまったのです。「おいら、ちょっくら、旅にでら~」と、まるで、ふうてんの寅さんのように。(本当は脱走?) 突然居なくなったジョージ君に、飼い主は大慌て。だって、なんだかんだと言っても、ここはカナダ。外に出れば、熊やコヨーテ、クーガー(オオヤマ猫)がいて、本当は怖~い森。ジョージ君は、カンガルーの得意技、ハイジャンプ・ドロップキックで捕食動物どもを撃退できるかもしれませんが、夏が終われば、マイナス20度にもなる極寒の冬がやってきます。だから、なにがなんでも保護してあげなければならないのです。まっ、ジョージ君のことですから、冬でもセッタを履いて、赤いマフラーを肩から下げて、カタカタ石鹸を鳴らして、銭湯に現れるかもしれませんが・・・(カナダには、銭湯はなかったっけ?) つい最近、鹿の群れのなかでジョージ君を目撃したという情報がありましたが、駆けつけたときにはすでに遅く、いったいどうしていることやら・・・。

本当は、ホームシックになって、オーストラリアを必死に目指しているのかもしれませんね。・・・としたら、バンクーバー空港に現れるかもしれません。

ということで、カナダで行方不明になっている、カンガルーのジョージ君に懸賞金が賭けられました。
早く見つかるといいね。
※写真は、ジョージ君の私の勝手なイメージです。本物ではありません。

2008年8月17日日曜日

あの船は、今。

この写真に見覚えがある人もいると思いますが、これは、以前フォールスクリーク(WVのマリーナから、練習場であるイングリッシュベイに出る途中の水路)で起こったアグラウンドです。BCニュースでも伝えられ、この写真は、その年の優秀写真賞を取ったそうで、ある意味有名な写真になりました。(船の持ち主は苦笑してますが…。)実はこの船は、私の親友の船だったのです。ニュースでは、「25ノットの風で海に出た彼らの落ち度だ」と放送され、みんなから、けちょん、けちょんに言われてしまいましたが、真相は彼らだけの落ち度というわけではありませんでした。 友人の名誉のために、そのときの状況を説明しましょう。

その日、VHFウエザーでは、強風(ゲール)注意報は出ていませんでした。ちなみに、25ノットの風は、経験のあるセーラーにとっては強風ではありません。フォールスクリークの狭いチャンネルの中で、彼らの前方から漁船がやってきました。友人は航行ルールに従って、彼らとポートサイドを見合わせる位置をとったの ですが、漁船がフラフラと進路を変えはじめたのです。なにやら他のことに気を取られているような動きで、左右にバウを振りながら、まるで酔っ払いの千鳥足。何度 か、バウ同士が向かい合う形になり、危険を察した友人は、大きく船体をスターボード側に切って漁船を避けました。そのときに、漁船に追い詰められるように 岸に寄せられてしまったのです。そんな、非常識な漁船を回避したとたん、危険を避けるためにエンジンを無理に回転させてしまったことが原因なのか?、エンジンが突然止まってしまい、運悪く、風下だったことから、あっというまに岸に激突してしまったのです。それが、本来のいきさつでした。

けれど、その後が問題だったのです。
座礁した場所が、コーストガードの目と鼻の先ですから、すぐにもコーストガードはやってきました。ところが、駆けつけたところで、コーストガードのゾディアックが暗岸に挟まってしまって、彼らもスタックしてしまったのです。(725ホースパワーのゾディアックです。信じられません・・・)自分達も座礁して焦ったコーストガードは、次に「ビッグ・ガン」と彼 らが呼ぶホバークラフトを要請しました。それは40分かけてリッチモンドから走ってきました。大きなファンで海水を巻き上げながら、救出作業をしようとするが、彼らはなんと、投げるためのロープを海に落としてしまったり、海に飛び込んだ船員が溺れかけたりと、すったもんだするばかり。(信じられない・・・)その うち、潮がだんだんと引き始め、身動きがとれなくなってしまったのです。
その間、友人は、岩に叩きつけられている船体と岩の間にクッションになるようにとテンダーを挟み入れ、ダメージを必死に抑えながら、潮が上がるのを待つつもりでいたのです。本来なら、大きなフェンダーを入れて、満ち潮を待つべきでしょう。
ところが、40分かけて走ってきたホバークラフトは手ぶらでは帰れません。 ということで、なんと彼らは、友人の船にロープを括りつけ、無理矢理、暗岸から引きずりだしたのです。そのときに、船体は、また違う暗岸に激突してしまい、結局、当初のダメージは、スターボード側のハルのスクラッチだけだったのが、ポートサイドとキールとラダー、エンジンのシャフトを大きく損傷させてしまいました。この、コーストガードのまるで素人のような大げさな救出劇が、この平和で退屈しているカナダ人の格好のニュースになったというわけです。しかも、いかにもコーストガードがヒーローのように。ということで、船の持ち主である友人は、大粒の涙をこぼすしかありませんでした。とほほ・・・。

ただ一つ、友人のミステイクを指摘するならば、出航前にメインセールのカバーを外していないことです。カナディアンのなかには、セールカバーをつけたまま海に出ている人が多くいます。(必ず、海に出るときは、いつでもセールを出せるようにしなければなりませんね。ちなみに友人は、ISPA受講者ではありません。(ISPAは新しい団体ですので) ISPAでは、ベンドオンの大切さを口酸っぱく言っていますね。) エンジンが止まった瞬間、友人はすぐにジブをあげましたが、不運にも、すでにセーリングできるスペースがありませんでした。狭いフォールスクリークの水路は、船の往来がもっとも多い場所です。気をつけましょう。

ということで、久しぶりにこの船の近況を見に行ってきました。あれから友人は、コツコツと船を自分で直していて、今では修理するのを楽しんでいます。驚いたことに、雨や雪避けのための小屋も全て自分で建てたのですよ。普通だったら、修理屋に出すか、新しい船に買い変えるでしょうね。ここまでできるセーラーは、なかなかいませんよ。なんでも自分で作ってしまうカナディアンらしいですね。尊敬です。友人として誇りですね。
ちなみに彼らのセーラードッグ、コッカースパニエルは、更に肥満になって、セーリングできる日を待っています。